福島 正之(ふくしま まさゆき、天正13年(1585年) - 慶長13年(1608年))は安土桃山時代・江戸時代の武将。福島正則の養嗣子。実父は別所重宗。実母は福島正信の娘(正則の姉)。幼名は八助。官位は刑部少輔、伯耆守、侍従。子に大道寺直秀がいる。兄に吉治、宗治、重家(旗本、美濃別所氏祖、家禄美濃5郡1000石)、信範がいる。 

 別所重宗の七男として生まれるが、叔父・正則の嫡男・福島正友(正長とも)が夭折したため、正則の養嗣子となる。慶長4年(1599年)に徳川家康の養女・満天姫(実父は松平康元)と結婚。翌慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに出陣し、竹ヶ鼻城や岐阜城を攻めて軍功を挙げる。 

 しかし慶長12年(1607年)、正則から「近頃は乱行を行なうなどして狂疾である」と幕府に訴えられ、幽閉処分に処される。この訴えは正則が実子の福島忠勝に後を継がせるために行なった虚偽であるとも言われている。幽閉になった翌年の3月(または5月)に餓死。享年24。 

 我が子が可愛いのは人親の情とは言えこれでは家名存続はできない。 

 信長の恩を忘れて織田家の天下を乗っ取った秀吉、秀吉の恩を忘れて家康の天下乗っ取りに手を貸した正則、秀吉を真似た訳でもないだろうが餓死とは・・・濡れ衣を着せたにせよ切腹させられなかったのか?